楽しみから解放される?
今年は、台風が関東に上陸し、大きな被害がありますね。
昨年は、現在住んでいる岡山県でも、
大きな被害があり、その大変さを身にしてみて感じました。
自然の脅威を感じますし、
人間ではどうしようもない事があるなと、ただただ感じますね。
謙虚さ。
この言葉がふと浮かんで来ます。
楽しみから解放?
最近、FBで気になる方がいるんですよね。
梯谷 幸司さんという方です。
まず、この苗字が自分は、読めかったのですがwww
ハシガイ コウジさんと読みます。
「言葉の可能性"に終わりが無いことを証明する」をテーマに活躍されており、
心理技術アドバイザー 、神経科学研究家、
トランスフォーメショナル・コーチ®️として活躍されている方です。
著書も数冊出されており、
活躍めまぐるしい方です。
その方の投稿で、
【 なぜ、楽しみから解放されることが必要なのか? 】
このような始まりでの投稿。
世界遺産でもある奈良県の興福寺に
このような札が立っていたようです。
『楽しみは、悲しみも生む
楽しみから解放された者には、悲しみはない』
梯谷さんも、
『楽しさやワクワク感などを求めているうちは、自由は手に入らない』と、
良く言われており、
この点が、
病気⇔健康
も分けるポイントでもあり、
人生全般に、とてつもなく重要なポイントだと言われております。
楽しい!を観察する
以前記事に書いた、ヨガの経典「ヨガスートラ」では、
●ヨガとは、心の作用を制御する事である。
とあります。
別の表現をすれば、
心をコントロールする事がヨガであると言う事もできますね。
あれ?ヨガってポーズを取るものではないの?
と思われるかもしれませんが、それだけはないんですよね。
ヨガスートラは、
さらに、
「心が制御されると、自然体の自分自身でいる事ができる」
と続きます。
自然体の自分自身?
ってなに?
となると思います。
これは、
感情や心の動き、身体の状態等、
全てを観察している自覚や意識のこと。
ヨガでは、
自分が今何を感じているんだろう?
何を考えているんだろう?
とクリアに分けるよう、自覚や意識を育てていく方法でもあると
言えると思います。
良く、
良いも悪いもない。
プラスもマイナスもない。
と言われていますが、
今日の話に沿うと、
楽しみ⇄悲しみ
と言う感情に飲まれたり、翻弄されてしまうのではなく、
存分に味わいながらも、手放す事。
人生は、揺らぎの中を歩くようなものなので、
良い時、悪い時と言うものはあるはしょうがないですよね。
いつでも自然体でいれた方が良いとなあと思います。
梯谷 幸司さんが言われてる真意もその辺りかなと思いました。
PS
梯谷 幸司さん、
見た目は、オールバックで、
かっちりなスーツで、すげ〜怖そうですが、
人のためになるような活動されていて、
そのギャップが魅力的ですよね。